バラク・オバマ大統領就任式(バラク・オバマだいとうりょうしゅうにんしき)は、2009年1月20日に行われ、バラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領に就任した式典である。ワシントンD.C.で行われた式典は記録的な人出でにぎわい、オバマ大統領とジョセフ・バイデン副大統領の4年間の任期の第一歩を飾った。この就任によって、オバマは最初のアフリカ系アメリカ人(黒人)の大統領となるとともに、最初のハワイ州生まれの大統領となった。第44回就任式のテーマは、エイブラハム・リンカーン生誕200年を記念して、「自由の新しい誕生 (A New Birth of Freedom)」とされた[1]。
就任式は、2009年1月17日、オバマがペンシルベニア州フィラデルフィアから列車でワシントンD.C.に入ったところから始まった[2]。公式祝賀行事は、1月18日から21日にかけて行われ[3]、リンカーン記念館での祝賀コンサート"We Are One"(我々は一つ)[4]、連邦の祝日であるキング牧師記念日の奉仕の1日[5][6]、ベライゾン・センターでのコンサート「子どもたちの就任式:私たちが未来 (Kids' Inaugural: We Are the Future)」[4]、連邦議会議事堂での就任式典、彫像ホールでの就任昼食会[7]、ペンシルベニア通りのパレード、ワシントン・コンベンション・センター (Washington Convention Center) などでの10の就任記念ダンスパーティー[8]、ホワイトハウスでの私的祝賀会、ワシントン大聖堂 (Washington National Cathedral) での就任礼拝行事[9]が行われた。
[編集] 就任式前の行事
[編集] 列車での移動
2009年の就任行事は、第16代大統領でありイリノイ州出身の政治家であったエイブラハム・リンカーンを記念し、リンカーンが1861年に列車でワシントンD.C.入りしたのを一部再現して、列車での移動から始まった。2009年1月17日、オバマは列車に乗り込む前に、フィラデルフィアの30 番ストリート駅で集会を持ち、リンカーンへの敬意を表した[10][11]。オバマは、デラウェア州ウィルミントンに到着し、過去の大統領たちが使った列車である「ジョージア300号」で副大統領となるバイデンと落ち合った[10]。オバマとバイデンは、そこからメリーランド州ボルチモアへと移動し、そこでオバマは約4万人の群衆に向かって演説を行った。連邦航空局 (FAA) により、列車のルート上空近くを民間飛行機や取材ヘリコプター、熱気球などが飛行することは禁止された[12]。オバマとバイデンは、東部時間午後7時にワシントンD.C.のユニオン駅 (Union Station) に到着した[13]。この移動中、オバマは、熱狂する群衆に対し、彼のトレードマークとなっている"I love you back"という呼びかけで答えた[11][14]。アメリカ市民の中から40人余りが選ばれ、この列車での移動や、パレード、宣誓、ダンスパーティーなどの就任祝賀行事に参加した[13]。
リンカーンは、1861年2月11日、イリノイ州スプリングフィールドから列車での第1行程に出発し、ペンシルベニア州フィラデルフィアに2月21日に到着した[13]。第2行程で、リンカーンはフィラデルフィアから特別列車に乗ってワシントンD.C.での就任式へと移動し[12]、その間70か所で停車した[13]。
We Are One コンサート
[編集] リンカーン記念館でのコンサート
詳細は「ウィ・アー・ワン:オバマ就任祝典」を参照
ナショナル・モールリンカーン記念館での1月18日の就任祝賀コンサートは、"We Are One"と名付けられた。コンサートは一般市民に無料で公開され、またHBOが番組の配信を行ったため、ケーブルテレビのある家庭ではどこでも見ることができた[15][16]。40万人以上がコンサートに参加したと推定されている[17]。ワシントンメトロは、この日1日で61万6324人という記録的な乗客数で、1999年7月4日(アメリカ独立記念日)の54万0945人という日曜の乗客数の記録を塗り替えた[17]。
[編集] キング牧師記念日
就任式の前日である1月19日は、キング牧師の誕生日を記念した連邦の休日、キング牧師記念日に当たる。オバマは、国全体でこの日を奉仕の1日とすることを呼びかけ[18]、キング牧師記念日を奉仕の日とするしきたりは自然なことだとして、「この伝統は我々の誇りであるから、この日はただ立ち止まり、内省するためだけの日ではない。行動する日である。」と述べた[6]。
オバマとバイデンは、この奉仕の日に地域奉仕活動に参加し、大統領就任式委員会も、そのウェブサイトで、地域奉仕活動を主催するにはどうすればよいかや、幅広い奉仕団体についての情報を提供した[18][19]。1万1000を超える地域奉仕行事が、この日、全国で行われた[20]。
1月19日、大統領を乗せた車列が、東部時間午前8時33分、ブレアハウスを出発してウォルター・リード軍事医療センターへ向かった。オバマは、そこで1時間強の間、イラク戦争とアフガン戦争で負傷して治療中の兵士ら(そしてその家族)と私的に懇談した[5][6]。
ウォルター・リード軍事医療センターを訪問した後、オバマは、マーティン・ルーサー・キング3世とともに、ワシントンD.C.の10代の少年を保護しているサーシャ・ブルース・ハウスのホームレス・シェルターへ向かった[5][6]。一方、バイデンの妻ジル、娘アシュリー、オバマの妻ミシェルと2人の娘マリア、サーシャは、数百人のボランティアとともに、午前中、ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアムで海外の米軍部隊に送られる6万個から8万5000個の援助物資を詰める作業を手伝った[5][6][20]。午前中の奉仕活動を終えた後、オバマ一家とバイデン一家はワシントンD.C.北西地区の公立高校であるクーリッジ・ハイスクールで昼食をとった[5][6]。その後、バイデンは北東地区で、国際NPOハビタット・フォー・ヒューマニティー (HFHI) の建てる家で壁を取り付ける作業を行った[21]。その他のメンバーも、その日1日、D.C.市内で数多くの奉仕活動を行った[6]。その夜、オバマはジョン・マケイン、コリン・パウエル、ジョー・バイデンの奉仕をそれぞれたたえて、三つの別々の超党派的な夕食会を持った[5][6]。
[編集] 子どもたちの就任式
1月19日の夜、ミシェル・オバマとジル・バイデンの主催で、ベライゾン・センターで「子どもたちの就任式:私たちが未来」というイベントが行われた。マイリー・サイラスとジョナス・ブラザーズが、コンサートで兵士の家族たちをたたえた[22]。ショーの様子はディズニー・チャンネルとラジオ・ディズニーでライブ放送された[4]。このほか参加した著名人には、デミ・ロヴァート、バウ・ワウ、コービン・ブルー、クィーン・ラティファ、ビリー・レイ・サイラス、シャキール・オニール、ジェイミー・フォックスがいる[22]。キング牧師記念日の奉仕というテーマに沿って、ミシェル・オバマは、子どもたちに向かって、ホームレス・シェルターでボランティアをしたり、お年寄りを見舞いに行ったり、米軍部隊に手紙を書いたりして公共の奉仕を行うことを呼びかけた[22]。
[編集] 非公式行事
こうした公式行事のほかに、ワシントンD.C.や周辺地域では、就任式までの数日間、大きな集会や祝賀会が数多く催された。その一部は次のとおりである[23]。
[編集] 概要
連邦議会就任式典合同委員会は、2008年12月17日に、1月20日の就任式の全スケジュールを公表した。オバマは、事前に、フルネームである「バラク・フセイン・オバマ」と呼んでもらいたいとの意向を示していたが、就任式スケジュールには大統領選出者の名前として「バラク・H・オバマ」と記載してあった[29]。
就任式は東部時間2009年1月20日午前8時に開場し[8]、就任式プログラムは東部時間午前10時から始まった。予定された行事は次のとおりである。
就任式の後、大統領オバマ、ファーストレディーのミシェル・オバマ、副大統領ジョー・バイエン、そしてジル・バイデンは、前大統領ジョージ・W・ブッシュとその妻ローラ・ブッシュを、議事堂東側での出発式へと導いた。オバマ夫妻、バイデン夫妻はそれから議事堂の彫像ホールでの就任昼食会に出席し、その後ホワイトハウスの大統領観覧台に向かい、パレードを観覧した。
[編集] 式典
式典は、2009年1月20日、連邦議会議事堂の西側正面で行われた。東部時間午前8時から、"The President's Own"(大統領直属)との別名があるアメリカ海兵隊楽隊による、事前録音の音楽が2時間にわたり流された[30]。東部時間午前10時から、海兵隊楽隊によるライブ演奏が行われた。リンカーン記念館まで広がるナショナル・モールは、市民が就任式を見るための場所となった。モールの北西地区3番ストリートと4番ストリートの間の区画は、チケットを持った人だけの指定スペースとなった[31][32]。行事は、連邦議会就任式典合同委員会が企画を行い、その委員長であるダイアン・ファインスタイン上院議員が司会進行役を務めた[33][34][35]。
連邦議会の幹部によって用意されたプログラムでは、歌手のアレサ・フランクリンが"My Country, 'Tis of Thee"を歌い、ジョン・ウィリアムズの曲[29]"Air and Simple Gifts"が演奏された。この曲は、事前に録音されるとともに、チェリストのヨーヨー・マ、バイオリニストのイツァーク・パールマン、ピアニストのガブリエラ・モンテーロ、クラリネットのアンソニー・マクギルによって録音に合わせてライブ演奏が行われた[36][37]。そのほか、アメリカ海兵隊楽隊とアメリカ海軍楽隊も参加した[37]。サンフランシスコ少年合唱団・サンフランシスコ少女合唱団も式典で合唱を披露した[8]。福音派の牧師リック・ウォレンが祈りを捧げ[38][39]、市民権活動家で合同メソジスト教会の牧師Joseph Loweryが祝福を行った[40]。
副大統領当選人のバイデンが、まず最高裁判所陪席判事ジョン・ポール・スティーブンズの下で宣誓を行った[37]。副大統領就任宣誓に続き、太鼓とビューグルによるファンファーレ (ruffles and flourishes) 4回と、賛歌"Hail, Columbia"が流れた[30]。
"Air and Simple Gifts"の演奏の後、最高裁判所長官ジョン・ロバーツが、正午すぎにオバマ大統領の就任宣誓を執り行った。就任式は予定よりも時間がかかり、そのため宣誓の完了も遅れて東部時間午後0時05分頃になったが、オバマはアメリカ合衆国憲法修正第20条に基づき、ブッシュ大統領の任期が切れる同日正午を以て大統領に就任した。
大統領就任宣誓に引き続き、陸軍隊員によって新大統領のために21発の礼砲が鳴らされ、次いでファンファーレ4回と行進曲"Hail to the Chief"が流れた。宣誓式を終えたオバマは、アメリカ合衆国大統領として、就任演説を行った[41]。そして詩人のエリザベス・アレクサンダーが就任を祝う詩"Praise Song for the Day"を朗読した[37][42]。
就任演説を終え、群衆に手を振るオバマ。
宣誓式を見守る群衆。
オバマが宣誓のため議事堂の建物から出てくると、歓声を上げ、旗を振る群衆。
[編集] 宣誓
最高裁判所長官ジョン・ロバーツが、オバマの就任宣誓を執り行った。ミシェル・オバマが、1861年にエイブラハム・リンカーンが最初の就任式で用いた聖書を、オバマ大統領のために手で支えた[43]。オバマは、この数週間前に、宣誓式ではミドルネームである「フセイン」を略さずにフルネームで使いたいと述べていた。その理由については、「伝統に従うだけで、何らかの意味を表したいわけではない」と話した[44]。彼のミドルネームは、2008年アメリカ合衆国大統領選挙の途中、彼を中傷する人がイラクの独裁者サッダーム・フセインを暗に連想させようとして使ったことから、論争を呼んでいた[29]。
オバマ自身が事前に要望していたとおり、ロバーツ長官は大統領就任宣誓の最後に「神に誓って (so help you God)」と先導し、オバマも「神に誓って (so help me God)」と答えた。そして、ロバーツはオバマを新大統領として祝いの言葉を述べた[45][46]。
[編集] 宣誓中の言い誤り
宣誓を行う途中、いくつかの間違いがあった。ただ、その正確な事実経過については、報道によって説明の仕方が分かれている。あるニュース記事によると、ロバーツが宣誓の最初の部分を唱える際、"I, Barack Hussein Obama."(私、バラク・フセイン・オバマは)と言った後に息継ぎを入れたという。そしてオバマがその言葉を復唱し始めた時に、ロバーツが大統領をさえぎるように"do solemnly swear,"(厳粛に宣誓する)と言って宣誓の続きを唱え始めたという[47]。別のニュース記事によれば、ロバーツが宣誓の最初の部分を唱えているところをさえぎったのはオバマの方であるという[48]。
宣誓の第1フレーズを言い終えた後、ロバーツは宣誓の次の部分を暗唱する際、誤って"that I will execute the Office of President to the United States faithfully"と述べた。正しくは"that I will faithfully execute the Office of President of the United States"(私が誠実にアメリカ合衆国の大統領の職を執行することを)というべきところである。オバマは、"I will execute"という文言を復唱したが、ロバーツの誤りに気付いたように、息を継ぎ、ロバーツの方を見た[49]。ロバーツは、それから誤りを正そうとして、"faithfully the Office of President of the United States."と唱えた。しかし、オバマはロバーツの最初の間違ったフレーズを復唱してしまった[45]。
[編集] 宣誓のやり直し
| 宣誓のやり直し 2009年1月21日にやり直された大統領就任宣誓。 |
ホワイトハウス報道官のロバート・ギブズは、当初、オバマ大統領が就任宣誓をやり直す予定はないと説明していたが[50]、ロバーツ長官が、ホワイトハウス法律顧問の要請に応じ、オバマの宣誓をやり直すことに同意した。2度目の宣誓式は、 2009年1月21日の夕方、ホワイトハウスのマップ・ルームにおいて、ホワイトハウス記者団と少人数の大統領側近の前で行われた[51][49]。ロバーツがオバマに準備はよいか尋ねると、オバマは、「はい。ゆっくりやりましょう。」と答えた[49][52]。ホワイトハウス法律顧問のグレッグ・クレイグの出した説明によれば、宣誓は「あくまで念のために」2009年1月21日に再挙行された。1月20日の宣誓について、クレイグは「就任宣誓は有効に行われ、……大統領は適切に宣誓した。……しかしながら宣誓の文言は憲法自体に書かれているので」と付け加えた[53]。
[編集] 就任演説
バラク・オバマ大統領の就任演説の中心的なテーマは、責任を取り戻すことへの呼びかけであった――それはワシントン(政治)の説明責任を意味すると同時に、一般市民が関わっていくという責任も意味していた[54][55]。レトリックの専門家、ジェームズ・マッキンに言わせれば、オバマの演説には、抜粋して記憶に残りやすいフレーズはなかった。その代わり、わざと控えめに語られた演説の中で、彼は伝統に言及することによって、自らの新しい政権を、アメリカの歴史と結びつけようとしたという[56]。
オバマは、演説の第2段落の締めくくりに、「我々人民は、建国の父たちの理想に誠実であり続け、建国の文書に忠実であり続けた」と述べた。演説は、「遺産」や「伝統」といった言葉、また「誠実」、「勇気」、「愛国心」といった「古い」価値観を強調した。演説の最後の方で、オバマは、トマス・ペインが『アメリカの危機』で書き、ジョージ・ワシントンがその軍隊に読み聞かせるよう命じた言葉に触れた。
「未来の世界に語られるようにしよう。厳冬の中、希望と美徳だけが生き残ることができた時……都市と地方は共通の危機に見舞われて、それに立ち向かったのだと。」
オバマの選挙キャンペーン中のメッセージは、変革(チェンジ)の必要性に焦点を当てたものであったことから、マッキンは、オバマが大統領としてアメリカ国家の伝統から逸脱することはしないのだということをアメリカ国民に対して安心させようとしたのだと指摘する[56]。
責任への訴えの中で、オバマは、「我々の中で市民の金を管理する者は、説明を果たす責任を負う」、「我々に今求められているのは、新しい責任の時代である――あらゆるアメリカ人が認識することである」と述べた。オバマは、ミュージカル映画「スイング・タイム」からジェローム・カーンとドロシー・フィールズが歌う「ピック・ユアセルフ・アップ」の歌詞を引用し、「今日からは、我々は立ち上がり、体のほこりを払い、アメリカ再建という仕事を再び始めなければならない」と述べた[57]。ニューヨーク・タイムズ紙の記事において、コラムニストで元ドラマ批評家のフランク・リッチは、映画から引用されたフィールズの歌詞との関係について言及し、オバマは演説の中で「かすかな大恐慌時代のイメージ」をほのめかしたのだと書いている[58]。
オバマの演説に対する評価は様々である。抑制的で、率直な語り口だったという意見もある[59]一方で、レベルが低くありきたりだという声もある[60]。彼の楽観主義にもかかわらず、オバマの演説はブッシュとクリントンの双方に対して批判的なものであった[59]。ニューヨーク・タイムズ紙のデイビー・サンガーは、フランクリン・ルーズベルトがアメリカ的価値観の復活を訴えた演説以来、去りゆく前任大統領に対する就任演説中の批判としては最も手厳しいものであったとする[61]。演説が、儀礼的ながらも丁寧な謝意から、一転して痛烈な批判に向かったことに、ブッシュ政権担当者らは色を失った[62]。共和党の論者は、この演説は統合への機会を失わせるものだととらえた。しかし、ラーム・エマニュエルは、この演説は人々の意思を反映したものだと述べている[63]。
[編集] 昼食会
昼食会の前、慣例に従い、オバマ大統領は連邦議会議事堂のプレジデンツ・ルームに入り、そこで最初の大統領令に署名した。彼が署名した最初の大統領令は、「国の一新と調和の日の宣言」であった。この歴史的な署名をする最中も、オバマは自分の左利きについてジョークを言い、また「ペンをくすねないように言われたよ」と皮肉を言った。彼は、このほかにも、正式に閣僚及び準閣僚級高官について連邦議会の承認を求めるための大統領令にも署名した[64]。
オバマは、それから議事堂の国立彫像ホールでの就任祝賀昼食会で議会のゲストらと食卓を囲んだ。ゲストには、ワシントンを代表する議員らのほか、元大統領・副大統領らが招かれ、鴨とキジの料理に、ピノ・ノワールのワインが供された[7]。昼食会のテーマは、エイブラハム・リンカーン生誕200年を記念した2009年のオバマの就任式全体のテーマ、「自由の新しい誕生 (A New Birth of Freedom)」に則ったものであった[7]。赤と白の陶器は、リンカーン時代のホワイトハウスで用いられていたものの復元である[7]。
議事堂での昼食会は、1953年以来、就任式のプログラムの一部となっている(その前は、昼食会はホワイトハウスで行われ、離任する大統領とファーストレディーが主催していた)。就任祝賀昼食会のメニューは、新しい大統領・副大統領の出身州を代表する料理がメインになることが多い。2009年のメニューは、シーフード・シチュー、キジと鴨の料理、そしてデザートにはスイート・クリーム・グラッセの添えられたアップル・シナモン・スポンジケーキであった。1985年以来、最上席の背景に飾る絵画が選ばれてきた。2009年に選ばれた絵画は、トーマス・ヒルが1865年に描いた「ヨセミテ渓谷の眺め」であった。この絵は、エイブラハム・リンカーンが1864年にヨセミテ下付地を創設する法律に署名したのを記念したものである。これは� ��連邦政府が、市民が利用できるように公園を保護した初めての例であった[65][66][67]。
昼食会の最中に、エドワード・ケネディ上院議員が発作を起こして倒れ、病院に運ばれて治療を受けた[68][69]。この緊急事態を伝える当初の報道では、ロバート・バード上院議員もまた病気に倒れたとの誤った情報が流れた[70]。その報道は後に否定され[69]、最終的に、バードはケネディの件で心理的に動揺したため、帰宅することになったのだと説明された[71]。
[編集] パレード
就任祝賀パレードは、D.C.北西地区のペンシルベニア通りを、連邦議会議事堂から出発し、ホワイトハウスの北面まで進んだ。パレードの途中、オバマ大統領とファーストレディーのミシェル・オバマは、2回、リムジンからペンシルベニア通りに降り立ち、パレードのルートを歩いて、集まった群衆の歓声に応えた[73]。2度目に歩いて車に戻ったのは、ホワイトハウスの門のすぐ前であった。その2回を除けば、大統領とファーストレディーは、パレードの間、警備上の問題から、ルートの大部分を新型の防護されたリムジンで移動した[74]。
バイデン副大統領とその妻ジル・バイデンも、数か所で、子のビュー、ハンター、アシュリーとともにパレードのルートを歩いた[75]。ビュー・バイデンは、デラウェア州の司法長官兼デラウェア州兵法律顧問将校であり、イラク戦争の軍役から特別の休暇を得て式典に参加した[76]。
パレードは、就任式の後、午後から夕方近くまで、2時間以上にわたって行われた。1万5000人の人と、240頭の馬、何十ものマーチングバンド、二つの鼓笛隊、一つのマリアッチバンドが参加した[77][78][79]。オバマ大統領は、ドラム・コープス・インターナショナルで9回世界チャンピオンとなったカデッツ鼓笛隊と、8回優勝に出場したコルツ鼓笛隊をアイオワ州ダビュークから招いたほか、バージニア州軍学校の士官候補生隊、そしてオバマの出身高校、プナホウ・スクールからパレードでのパフォーマンスのため高校生マーチングバンドを招いた[80]。
バイデン副大統領も、デラウェア州から、パレードでの行進にいくつかのグループを招いた。デラウェアのセクションの先頭に立ったのは、バイデンが名誉会員となっているデラウェア・ボランティア消防隊員会であった。それに続き、バイデンの母校、デラウェア大学から、「デラウェア州の誇り」と言われるファイティン・ブルー・ヘンズのマーチングバンド[81]、そしてデラウェア州立大学ホーネッツのマーチングバンド、別名「近づく嵐」が行進した[81][82]。
[編集] 就任式後の行事
[編集] 就任祝賀ダンスパーティー
ワシントン・コンベンション・センターのダンスパーティー
オバマは、ウォルター・E・ワシントン・コンベンション・センターで催された五つの就任祝賀ダンスパーティーに出席した。
ダンスパーティー招待客への案内板。
大統領出身州ダンスパーティーでのオバマ、バイデン両夫妻
大統領出身州ダンスパーティーでのオバマ夫妻(左)とバイデン夫妻(右)
出身州ダンスパーティーのエンターテインメント

