インフォームド・コンセント(英語:informed consent)は、「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念。以下、本項では「IC」と略称する。
特に、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で (informed) 、対象者が自らの自由意思に基づいて医療従事者と方針において合意する (consent) ことである(単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもICに含まれる)。説明の内容としては、対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれている。また、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならない。
なお、英語の本来の意味としては「あらゆる」法的契約に適用されうる概念であるが、日本語でこの用語を用いる場合はもっぱら医療行為に対して使用される[1](医療行為以外については説明責任を参照)。本項でも、以下では医療行為に伴うIC、特に医師を始めとする医療サービスの提供者(以下、医療従事者)と、患者との間でなされるICについて述べる。
ICの概念として、「説明・理解」と、それを条件にした「合意」の、いずれも欠けないことが重要である。また、ここでの「合意 consent」とは、双方の意見の一致・コンセンサスという意味であり、必ずしも提案された治療方針を患者が受け入れるということを意味しない(医療従事者の提案を拒否することも含まれる)。
患者が「全部お任せします」といって十分に理解しようとせずに署名だけするような態度や、医療従事者が半ば説得して方針に同意させるような態度は、不十分なICの例である。一方で、患者が充分な説明の元で治療方針を「拒否」し、医療従事者側がそれを受け入れた場合、これは充分なICといえる。
ICは、従来の医師・歯科医師の権威(パターナリズム)に基づいた医療を改め、患者の選択権・自由意志を最大限尊重するという理念に基づいている。
説明する側は医療行為の利点のみならず、予期される合併症や、代替方法についても十分な説明を行い、同意を得る必要がある。また、この同意はいつでも撤回できることが条件として重要である。こうすることで初めて、自由意志で治療または実験を受けられることになる。
臨床試験/治験についてICの必要性を勧告したヘルシンキ宣言は、ナチス・ドイツの人体実験への反省から生まれたニュルンベルク綱領をもとにしている。
日本では、1990年1月の日本医師会第II次生命倫理懇談会「『説明と同意』についての報告」、1996年日本医師会第IV次生命倫理懇談会「『医師に求められる社会的責任』についての報告」に始まり、1997年(平成9年)の医療法改正によって、医療者は適切な説明を行って、医療を受ける者の理解を得るよう努力する義務が初めて明記された。さらに国際法的にも2006年11月に議決されたジョグジャカルタ原則によってその必要性と重要性が明記された。
説明・理解のない治療で侵襲を与えた場合、近年の日本では民事訴訟で医療従事者側に対する損害賠償が認められる傾向にある。説明・理解のない治療は刑法上の傷害罪や殺人罪に当たるという主張もある。ただし、現在の日本では、これらの容疑で医療従事者が起訴されることは非常に例外的である。
私 (患者名) は、医師 (医師名) より、現在の病状・予想される副作用・代替の治療法について十分な説明を受け、理解しましたので、治療方針を受け入れることに同意します。
○年○月○日
(署名)
私 (患者名) は、医師 (医師名) より、現在の病状・予想される副作用・代替の治療法について十分な説明を受け、理解しましたが、治療方針を受け入れることを拒否します。
○年○月○日
(署名)
典型的な同意書の文面例
一般的には、治療を受ける本人(や家族)が、口頭(必要に応じて文書を併用)にて治療方針の通知・説明を受ける、という方法が採られる。要する時間は状況により大きく異なるが、短い場合で数分、長い場合には数十分やそれ以上の時間が当てられる。
モン族とは何か
医療従事者側は、病名、病状、予後等の説明に際して、科学的に正確に伝えることも大事だが、患者が真に納得して受け入れるためには、患者の心情や価値観、理解力に配慮したわかりやすい説明が必要である。したがって専門用語の乱用は望ましくない。また、一方的な説明ではICにはならないので、患者に行おうとする医療措置のメリット・デメリットを公平に提示する必要がある。
本人と家族の希望が食い違うことは稀ではないが、ICの原則では患者本人の意思が、配偶者や親、その他の家族の意思よりも優先される。しかし闘病には家族の理解と支えも欠かせないものなので、ある程度重要な問題に関しては、可能な限り家族のICも必要である[2]。ただし、医療従事者には判断力のある患者への説明義務はあるが、その家族に対して説明する法的義務はないとされる[3]。
選択可能な方針が複数ある場合(例えば、ある種の癌で手術と化学療法の予後に大差がないと考えられる場合)、患者が主体的に複数の方針からひとつを選択するよう促されることがある。このように患者が方針の選択まで行うことを特にインフォームド・チョイス (informed choice) 、または、インフォームド・デシジョン (informed decision) と呼び区別することもある。
充分に納得が得られ医療従事者側の方針を受け入れる場合にせよ、拒否する場合にせよ、患者側は「十分な説明を受け理解した上で、同意します/拒否します」という、書面での明確な意思表示を求められる。必ず書面で合意を得るべきという法的根拠はないが、一般的には重要な問題に関しては、ほぼ全例で書面による意思確認がなされる。このような手続きをふまえて同意が成立した場合、患者は自己が選んだ方針とその結果に対して、責任を持つことになる。また、明確に合意を撤回する意思を示さない限り、選択した方針に協力しなければならない。
起こりうると予想された望ましくない結果(合併症など)については、責任の追及を行わない旨の誓約書に署名をさせられる場合もある。ただしこれは重過失がある場合の責任追及や、裁判を受ける権利までを制限するものではない(それらまで制限する契約は公序良俗に反するとされる)。
[編集] 患者側で注意すること
- 理解力のある家族と一緒に説明を聞く。理解できるまで説明を求める。
- プライバシーや情報伝達に関わるトラブルを防ぐためには、説明を受ける家族は固定され、あまり多くなりすぎないことが望ましい。患者にとっての「キーパーソン」が誰なのか、あらかじめ指定させられることがある。
- 正確な診断名・病期などを聞き、書面による説明を受ける。
- その疾患がどんな疾患なのかの説明を受ける。
- どんな治療法があるのか、各治療法ごとの利点・欠点を、予後QOL、多くの症状例(合併症状)を含めて聞く。
- 治療をしない場合の経過を聞く。場合によっては無治療(経過観察)が最善の方針である場合もある。
- その病院での当該疾患の治療経験や成績について尋ねる。その疾患に対する他の治療施設の有無を尋ねる。
- また自ら医学関係の書物を読み、基礎知識(医学で用いられる簡単な専門用語など)を得ておくことも重要である。
- 病院や医師の価値観により、医学的には同じ内容説明でも、治療方針が異なる場合もある。
- 最終的には、患者は医療従事者や家族や第3者を含めた他の人の意思に左右されることなく、自らの自由意思に基づいて決定しなければならない。
[編集] ICが困難な場合
医師・歯科医師を始めとする医療従事者は、あらゆる医療行為について、ICを得る責任があると言う概念は、2009年(平成21年)現在、一般論として各医療機関にほぼ普及している。
しかし、ICの概念自体、患者に十分な理解力判断力と、十分な時間的余裕があるという前提で成り立っている概念である。
実際の医療現場でICを実現するにあたって、以下のような困難が伴うケースがあり、従前通りのパターナリズムに基づいた医療が行われることも多い。
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[編集] 未成年患者
注射を嫌がり続ける幼児に対しては、保護者の同意のもとに治療行為が行われる。子供には'未来を得る権利'があるため、その時点での自己決定権を制限されるという考えがあり、これが子供の自己決定権が保護者によって代替される根拠となっている、と言われる。
たとえ未成年者であっても、判断能力があると認定される限りにおいて、患者の意思は尊重されると考える者が多いが、何歳から判断能力を有するとされるかについて統一見解はない。アメリカ小児科学会のガイドラインでは15歳以上からはICを得るべきとされている。日本で病院独自のガイドラインを持っている場合でも、12歳から20歳まで、その基準にはばらつきが見られる。
[編集] 意思の疎通が出来ない患者
患者に意識障害があったり、認知症などのために判断能力(意思能力)を欠くために、患者自身の意思が確認できない場合は、家族など代理人の同意にて診療行為を行わざるを得ない。
法律上の後見人等による同意については成年後見制度、制限行為能力者も参照。
[編集] 精神病患者
精神疾患の場合、患者の病状によっては説明を傾聴し、理解し、治療に関して同意を行うことが困難である。
病名を正確に告知することで患者自身がショックを受け、病状が悪化する、さらには発作的に自殺や殺人などの自傷・他害行為を行うことが予想される場合、医療従事者側も告知に慎重にならざるを得ない。やむを得ず患者には病名や治療方法を知らせず、精神保健福祉法で定めるところの保護者や、患者の家族等には病名を知らせるといった方法を取ることもある(のちに患者の状態が十分安定したときに病名の告知をすることもある)。
このような状況を踏まえ、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律では、患者の意思に関わらずに合法に入院させる制度が規定されている。
医療保護入院では、精神保健指定医の診断のもと、家族の同意に基づいて精神科病院での入院加療が行われる。自傷他害の恐れが強い場合には、措置入院、緊急措置入院など、家族の同意無しでも強制的に患者を入院させる制度がある[4]。
[編集] 救急患者
患者が生命の危機に瀕している場合など時間的余裕がない場合、事前の説明を省略し、一般的な治療を優先させてから事後の説明を行うことはやむを得ない、と考えられている。
医療従事者も詳しい説明をする余裕はないし、仮にそのような慌ただしい状況で同意を得ても、法的拘束力には疑問が残る。
なお、そのような緊急事態に備え、あらかじめ意思表示を行っておくことは差し支えない。このような例としては、心肺停止時の蘇生を拒否するDNRの意思表示や、臓器提供意思表示カード、エホバの証人信者の一部が携帯している輸血に対する意思表明のためのカードなどがある。
[編集] がん
癌の告知の際、日本では、家族にのみ病名を告げるというのが長く続く慣習であった。これはICの概念にまっこうから反し、実際ICの概念の普及とともに、癌の告知率は大きく上昇した。現代の日本ではほぼ全ての医療機関が、患者本人に正しい病名を告知することを原則としている。
一方で、癌(特に終末期)の場合は病名を告知して欲しくないと考える人は今でも多く、実際に本人の望まない告知によって精神的苦痛を与えられたとして訴訟まで至った例もある。
養育費を計算する方法
最善の治療を尽くしても予後が悪いと考えられる場合、ICの原則を忠実に守るなら、例えば「あなたは癌末期であり3ヶ月以内に死亡すると考えられる、手術は不可能であり、治療方針は苦痛を取るための緩和医療が主体となる、退院できる見込みはほぼゼロである」といった情報は、まっさきに患者本人に伝えなければならないことになる。実際にこれらの情報を伝えることが前提となる緩和医療が、日本でも浸透しつつある。しかし、ここまで明瞭な情報が患者本人に告知されることは、世界的に見ても多くはない。本人の性格や精神状態、家族の希望は千差万別であり、これらを考慮しながら最終的に伝える情報の範囲を決めていき、禍根を残さないように配慮する、といった対応をとる場合もある。
[編集] 医学上の定説と著しく異なる方針を選ぶ患者
医学的に標準と考えられる治療法以外の治療法を患者が選択することがある。特に、医学的見地からはほぼ明らかに不適切な方針を患者が選択する場合がある。
ICの理念に基づけば、十分な情報を提供された上での選択であるならば、患者の主体的な選択が優先されるべきである(反対意見については後述する)。
宗教上の信念から輸血を拒否したエホバの証人の信者に対して、輸血治療を拒否する明確な意思があることを知りながら輸血の方針に関し説明をしないで手術を施行した事例では、意思決定をする権利を奪い、患者の人格権を侵害したとして、日本国と東京大学医科学研究所付属病院の担当医に対する損害賠償が認められた[5][6]。
なお、単なる誤解や説明不足に起因して患者が誤った判断を行った場合には、医療従事者側に説明義務違反が問われる。
[編集] ICに対する批判と議論
[編集] パターナリズムとの衝突
健康で判断力を備えた成人ばかりを対象とするわけではない医療においては、困難の欄で述べたごとく、ICの前提がそもそも成り立たず、パターナリズムによる医療が行われる場面は多い。
患者が十分な理解力を備えた成人である場合でも問題が無いわけではない。あらゆる医療行為に伴い、起こる可能性があり専門家が考慮すべき医学的事項は膨大な範囲に及び、素人である患者は、専門家とはかけ離れた、限られた量の知識を元にして判断を行わざるを得ない。そのため、無制限に与えられる「患者の主体性」を認めることが果たして良いことかどうか、疑問視する考えもある。また、日本人には「餅は餅屋」という考えが存在するので、その意思はどう汲み取られるべきかという問題もある。パターナリズムを重視する者の中には、「インフォームド・コンセントなど幻想に過ぎない」という意見も見られる。
しかし、IC自体はそのような知識量の不均衡は当然の前提とした上で確立してきた概念である。専門知識と経験をもとにして、真摯なアドバイス・提案を行い、それを聞いた素人が自分の価値観で判断をすることで成り立つものである。「充分な情報提供 (inform) 」が何より重要な前提ではあるが、その上でなされた患者の自己決定権(とそれに伴う責任)は、最大限に尊重されるべきであるとする立場である。
前述のエホバの証人の判例が示すように、現在では日本でも、パターナリズムよりも患者の自己決定権が優先される傾向にある[7]。書籍やインターネット等である程度専門知識が得やすくなったことも、この傾向を後押しする要素となっている。
それでも、患者が、医学的観点から不適切であることがほぼ確実な治療方針を自ら選ぶ場合、生命を守ることが使命である医療従事者側は、非常に強い心理的抵抗を受けることがある。絶対的無輸血治療を選択する患者は受け入れない方針の病院も多いなど、主体性の尊重とパターナリズムとの衝突は、結果として病院による診療拒否にすら繋がることがある未解決の問題である。
[編集] 説明の範囲
前述の通り、ICの理念が達成されるためには、患者が正確な情報を充分に与えられることが重要だが、どの程度までの情報を提供すれば「充分」なのかについては、2007年(平成19年)現在、各医療機関の裁量に任されており、具体的なガイドラインはほとんど存在しない。裁判例においても見解が必ずしも一致しておらず、法整備やガイドライン作成が望まれている。
たとえば積極的な医療行為の説明にあたって、患者本人のQOLに対して医療上望ましくないケースや予後が不明である場合であっても、医療上の欠点を説明しない事や曖昧にする例がある。これには、医療者側としては患者に対する精神上の配慮、医療者責任回避や医学の推進意図、患者側としては治療に対する過度の期待が背景にある。癌の化学治療や手術、骨髄移植(造血幹細胞移植)などで発生しやすい。
[編集] 獣医学領域におけるインフォームド・コンセント
獣医師法においては直接の規定はないが、獣医学領域においてもインフォームド・コンセントの概念は必要とされている。ただし、医学領域と異なり、インフォームド・コンセントの対象となるのは治療される動物ではなく、その飼育者である。
- ^ 「インフォームド・コンセント」という外来語は一般に分かりづらいため、さまざまな日本語訳が考えられてきた。1990年(平成2年)に日本医師会が公表した報告では「説明と同意」という語が使われており、ICの最も有名な和訳となっている。ほかに、国立国語研究所の外来語委員会は2003年(平成15年)4月に、「説明と同意」に加えて「納得診療」という言い換えを提案している。ただし、現状ではこれらの言い換え語自体が日本語として根付いてはいない。これらの和訳は、「情報を与えられた上での合意」という、元々の英語が含有する意味の多くが欠落しており、批判を受けることもある。そうした日本語訳の難点から、医療現場での実践の普及や、各メディアでの使用などを通して、「インフォームド� ��コンセント」というカタカナでの表記が一般的となっている。江口聡 『インフォームド・コンセント -概念の説明- 』 加藤・加茂編、1998年、30頁。
- ^ 本人の代理として代理決定をした家族の心理的な負担について、水野、1990年、200-202頁 を参照。
- ^ 名古屋地裁平成19年6月14日 判例タイムズ1266号271頁
- ^ 精神疾患患者の自己決定権がどのような要件の下で制約されるか、憲法学からの考察として、竹中勲「精神衛生法の強制入院制度をめぐる憲法問題」、『判例タイムズ』484号、判例タイムズ社、1983年 を参照。
- ^ 2000年2月29日の最高裁判決(平成一〇年(オ)第一〇八一号、第一〇八二号平成一二年二月二九日第三小法廷判決)。
- ^ 『判例時報』1629号、34頁。『判例タイムズ』965号、83頁。
- ^ エホバの証人の輸血拒否事件を法的パターナリズム論の視点から考察したものとして、以下を参照。中村直美 『エホバの証人の輸血拒否とパターナリズム』。ホセ・ヨンパルト、三島淑臣編 『法の理論』13、成文堂、1993年。
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